齋藤薫の満月に知りたい人生のヒントやぎ座の満月

齋藤薫の満月に知りたい人生のヒントやぎ座の満月
2023年7月 やぎ座の満月🌕
私たちは、笑顔のパーセンテージが足りていない?
●知らない人同士笑い合えるのは、一つの喜び!
海外に行っていつも心を動かされるのは、“知らない人と目が合うと、にっこりできること“の素晴らしさ。日本人が日本でやれば、不思議な人に見られてしまうだけ。そういう慣習がないことがとても残念に思えるのだ。もちろん海外では、お互いの安全のために目が合うと笑い合って、自分が敵ではないと伝えるのだと言われるが、そうだとしてもやっぱり知らない者同士、不意に笑い合える喜びは、掛け替えのないもの。
マスクが取れてから久しぶりにバリに行くと、笑顔の濃度がさらに増しているように感じた。それもひょっとすると、マスク生活で私たち自身の笑顔がますます貧弱なものになっていたからなのかもしれない。
笑顔って、じつは難しい。自分では笑顔を作っているつもりでも、笑顔の度合いが足りなくて、相手には伝わっていないことが多いから。それ自体にも気づいていない人が多いからなのだ。笑顔不足は自分自身にとって損なこと。だから今改めて、自分の笑顔を検証してみて欲しいのだ。濃度は足りている? ちゃんと相手に伝わっている?
●人に対して怒りを持たない、それが本当の笑顔につながる?
バリは観光が生命線だからとは言え、地元の人たちの笑顔は際立って濃度が高い。狭い道をすれ違う時に、道を譲ってあげると、溢れるような満面の笑顔で感じ良すぎるサンキューを言う、こういうシチュエーションでそこまでの笑顔で笑えるなんて! と驚かされるほど。
それだけにホテルのスタッフの笑顔などは、掛け値なしの最上級。100%の笑顔は、気持ちがとろけそうに癒される。笑顔ってこんな大きな力を持っていたのだと改めて教えられるのだ。それもマニュアルに従って笑っているのではない、明らかに心の底から溢れ出る感情がこもった表情。だから私たちは心から安心し、心地よくなれるのだ。
ともかく実際に出会ってみなければわからない100%の笑顔に触れると、反対に自分の笑顔がいかに薄く貧弱かに気付かされる。中途半端では人の心を動かせない、こわばった心を溶かせないことを思い知ったのだ。
じつはこの国では、食事や握手に“不浄とされる左手”を使ったり、“神が宿る神聖な部分とされる頭”には触れないように、といったタブーがいろいろあるけれど、もう一つ、“怒りをあらわにするのは最もいけないこと”、とされる。
人に怒りを示すことは、当然のことながら相手に対し失礼であるという教え。何よりも、怒ることは“はしたないこと”だ考える国民性なのだ。確かに、イライラしている人を見かけることは少ないし、不機嫌に何かを言い放つ人も少ない。旅先ではトラブルがつきもの。でも間違っても人前で現地の人を怒鳴ったりしてはいけない。人前で怒られるのは最も恥と考えるから。
素晴らしい笑顔もそうした心の有りようから生まれているのだと考えるとわかりやすい。怒らないことと、いつも微笑んでいること、その掛け算が非の打ち所がないほど“感じのいい人”を生むのは確か。人としてこれ以上に尊いことはないはずなのだ。
神々が住む島と言われ、多くの民家の庭に寺院があるほど信心深い人々は、神を信じているからこそ人に対して怒らないというルールをとても自然に守れるのだろうけれど、笑顔はもっともっとエモーショナルなもの。人間性から当たり前のように溢れ出すものに違いない。そう思うと尚更、心を溶かされる。
●だから意識して100%の笑顔作ってみる。それだけで人は愛される
そこで提案。人に笑顔をむける時、意識して100%濃度を心がけること。おそらく多くの人は笑顔が足りない。せいぜいが5割6割、自分では笑っているつもりでも、相手には3割ぐらいしか伝わっていないケースが少なくないはずなのだ。だからちょっと思い切って笑ってみる。最初はぎこちなくても、いつの間にか身に付いてしまうはず。それがやがては、一つの求心力につながって気がつけば人が周りに近づいてくるという現象を生むはずなのだ。
ちなみに100%の笑顔は、作り笑顔では生まれない。ある意味、感情が高まらないと表情筋がそこまで動かないのだ。「口角を上げるだけで、免疫力が高まる」といった笑顔の効用はさんざん語られてきたけれど、やっぱり自分のためではない、他者への想いを乗せた本当の笑顔の意味を知った時、人は愛されるゾーンに入るのだ。足りないのでは意味がない、たっぷりの笑顔で生きていきたい。
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